『白身魚イラスト展』の感想

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 アニメーターの堀口悠紀子氏(別名・白身魚氏)による自選イラスト集真昼の月出版記念の原画展を見てきた。
 展示の最初に、イラスト集の成り立ちを解説するパネルがあった。それによると、去年の春の「とある出来事」がきっかけで、堀口氏が編集者に画集の出版を提案したという。「なんだろう?」と思って後で調べたら、コミック百合姫の表紙の仕事がきっかけだったようなことがTwitterに書かれていた。手応えを感じたのかな。

 さて、今回展示された原画は、イラスト集の収録作品だ。だから、原画とイラスト集(印刷物)がどう違うのかが気になった。その観点で眺めると、例えば、原画では修正液で消した跡が薄っすら分かるのだけど、印刷物では分からない(補正している?)。あと、印刷物では一枚絵に見えても、原画の段階では実は複数の紙に分けて描かれている作品もあった(背景と人物を別紙に分けたり、コマごとに分けたり)。

 で、最大かつ重要な違いは、原画では画材の使い分けによって物質的な立体感が生じているのだけど、印刷物では(再現力の限界で)それが失われていることだ。会場で読んだ解説によると、輪郭線は呉竹のマンガ用黒インク、彩色はドクターマーチンのカラーインクらしい。それらは原画の紙の上では、はっきりと別々のマテリアルとして自己主張しあっていた。だから、印刷物で見たときの印象以上に、絵に抑揚がある。だけど、例えば建築物の写真集を見て「実物の持つ立体感が損なわれている!」「実際よりのっぺりしている!」と文句を言っても仕方ないのと同じで、印刷物では再現できない領域なので、イラスト集を見て魅力を感じた人は、原画展ではそれ以上に良いものが見られると考えていい。

 輪郭線と彩色に関しては、物質的な違いに加えて、絵の中で果たしている役割の違いもあるように感じた。線は一瞬を切り取った静止状態の輪郭を描いたものだけど、色は「一瞬」とか「静止状態」というよりは「ユラユラと時間がたゆたっているような感じ」がする塗り方。「このパーツはこの色」という塗り方ではなく、色が複雑に溶け合っていて、印象がひとつに固定されないので、ゆらぎが感じられる。この「静止状態の線」と「ゆらぎのある色」という正反対の個性が、別々のマテリアルによって、混ざり合わない状態で絵の中に共存していた。失敗できないアナログの絵の紙の上で、両雄並び立っている様子が、とても緊張感があって良かった。

 あと、原画を見て分かったのだけど、特に、針のように細い描線の持つ情報量が、印刷物の解像感ではうまく再現されていないのも印象的だった。極細の線でも、それを裏付ける情報がギュッと詰まっていて、原画では凄まじく存在感がある。例えば、駅のホームの椅子の金具、同じくホームの床にある黄色の線上ブロック、ランドセルの縫い目、そういう細部の線だったり、コンクリート面の質感表現の点線にも魅力があり、惹き込まれた。現実の世界はどこまで拡大していっても情報が尽きないが、イラストの世界では普通はそうはいかない。ところが、今回の展示作品では、1本の細い線の中にどこまで拡大していっても情報がある感じがして、じっと見ているうちに絵の中に吸い込まれていくような気持ちになった。

 今回見た原画の中では、駅のホームに座っている女の子のロングショットの絵(コミック百合姫2019年12月号表紙)と、オリジナルのお正月の絵が特に気に入った。

 画材の立体感を感じること。点や線の本来の情報量を楽しみ、吸い込まれそうな気持ちになること。そういった印刷物では味わえない体験があったので、会場まで見に行ってよかった。今の時期はコロナを気にしてイベントへの遠出を自粛した人も多いと思うけど、いつか機会があれば是非これは見てほしいです。

(2020年8月17日@松坂屋 名古屋店)

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